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いばらの道 一覧

2008年10月06日

~地鎮祭までの長い道のり7~

分譲地が完成するまでに別件で問題がありました。
ローンを組む際に入る団体信用生命保険に加入できなかったことです。
団信に加入できない ⇒ 融資が受けられないということです。大問題です。

自分が持病を持っているなんて誰もしりませんでした。
特に言う必要もないと思っていたので・・・。

ローン契約時に、持病持っているかの欄があったため「有り」にしました。
そこで、初めて高嶋さん、JAの人が知ることになりました。
なんか二人は青ざめてたような気がします。
自分はそういうこと知らなかったので???でした。

審査結果はNGでした。
その時、団信の重要性を初めて知りました。ショックでした。

この持病を持っているということは、家を建てる時の一番最初に
言っておかないといけないことだったのです。

契約時に持病を持ってると言わなければよかったのか?っと思ったりしたが、
「告知義務違反」となり、住宅ローンの契約者が死亡しても保険金は一切、
支払われないらしいです。

じゃあどうする??ってことになりました。

その解決策を考えてもらいました。
・自分の生命保険をあてる。
・別の所から金額が高くなるけどローンする。
という案がでました。

自分の生命保険をあてる方法にすることにしました。
もし、自分に何かあったときに残してあげたかったお金でしたが、それしか方法がなかったので
仕方なくそうしようと思いました。

そう決心したところ、自分が入っている保険会社から連絡があって、団信の代わりの
保険があるのでそれ入りませんか?という話でした。
月々のお金もそれほど高くなかったので、それに入ることにしました。
不幸中の幸いでした。感謝です。

これで団信問題も解決しました。


全てが解決、土地も手に入りました。
高嶋さんと出会って1年半かけてやっと、地鎮祭を迎えることができます。


やっとメインの家造りになります。
ウィッシュホームのみなさんよろしくお願い致します。


建築日記として週に一回ペースで写真をとってブログに掲載したいな・・・できるかな・・・・。

次回は地鎮祭です。

2008年10月04日

~地鎮祭までの長い道のり6~

10下旬

土地が変わったということで、間取りを再変更するか迷いました。
さほど影響はなさそう、間取りが気に入ってる、変更する気力がない、ということでそのままにする
ことにしました。

一応、家相だけ再度調べてもらって、前回より良い事がわかりました。


11月
全て完了し、後は分譲地が完成するのを待つだけ。

2007年12月下旬くらいには完成しますと連絡を受け待ってました。
2007年12月下旬になっても完成せず、2008年1月下旬に完成するという連絡をうけました。
2008年1月下旬になっても完成せず、2008年3月中旬くらいには完成するという連絡がありました。
2008年3月中旬になっても完成せず、2008年4月下旬くらいには完成するという連絡がありました。
2008年5月上旬に土地を見に行くとやっと完成してましたが、市の手続きが終わってないために
2008年6月中旬に売れそうという話がきて、やっと購入できます。

分譲地完成するまでに、家購入の熱は完全に冷め、家の事も忘れるくらいで家族で話題すらでませんでした。
唯一話題がでるのは、「土地の完成延びたわ」でした。(笑)

2008年10月03日

~地鎮祭までの長い道のり5~

10月
インテリアコーディネーターの所にいっての打ち合わせがはじまりました。
2回ほど打ち合わせをし、結構イメージが固まってほぼ完了の時に、また問題が発生!!

土地の問題でした。

大手メーカーに土地を譲ってもらってたはずなのですが、やっぱり返してくれという話でした。
代わりの土地も用意してありました。
不動産屋も、大手メーカー優先で、代わりの土地に移って下さい。お願いします状態。

土地事態を諦めるか、代わりの土地に移るかの選択になっていました。
手付けの紙もお金も払ったのに、その土地は大手メーカーの土地になっていて、手付けの紙とお金の
効力は一切ありませんでした。

裁判などしても、勝てても得はなく、ただの時間と労力の無駄やし、結局どうにもならないと
いうことでした。

土地を完全に買うまでは、契約などしても不動産屋が売る気がなければ買えないということ、
買うまでは安心できないということがわかりました。

結局諦めて、代わりの土地をみることにしました。

代わりの土地の条件は、元の土地より広く、金額も同じ金額、同じ分譲地内でした。
ただ、問題は、斜め前くらいに工場があって24時間フル稼働。
音が気になるだろうなという土地でした。

騒音について、高嶋さんに相談しました。

今の家は音は入りづらくなってて大丈夫やし、極力、音を入りづらくしてくれるという
ことを言ってくれたので、それを信じて代わりの土地にすることにし、今度は間違いの
ないようにすぐに契約もしました。

結果的には、当初の土地より良くなったと思います。

土地問題で二度もありえない事が起きた所は、自分達くらいだろうなぁって思いました。
ウィッシュさんでも、土地購入について永遠に語り継がれていく話じゃないだろうか・・・。

土地購入の際は気をつけてください。

2008年07月10日

~地鎮祭までの長い道のり4~

2007年8月
土地探しを再会し初めて、一ヶ月たち、子供も無事産まれ、少し家のことを忘れかけてた時に、
高嶋さんから十五区画ほどの分譲地がでるという情報をもらい、また嫁さんと相談し
思い切ってそこにすることに決定しました。

自分たちが希望する土地が、大手ホームメーカーが先に希望してるらしく、駄目もとで
それを譲ってもらえないか不動産屋に聞いてもらいました。
(ここの不動産屋は、前回の不動産屋と別です。)

駄目だろうなと思っていたら、なぜか不思議と譲ってくれるという返事をもらいました。
今度は、前回のような失敗はしないようにと、手付け金を先に払うことにしました。
高嶋さんが速攻で不動産屋に手付け金と手付けの紙を持っていってくれました。
これでOK。

2007年9月
土地が変わったので、その土地に合わせた間取りのたたき台を作ってもらい何度か修正し
間取り完成。
完成後に、高嶋さんに家相について相談しました。
これから一生住む家で家相(風水)が悪かったら、気持ちがあまり良くないのでお願いをしました。

高嶋さんと一緒に家相を見てもらうために、そのお宅におじゃましました。
家相を調べてもらう方(宮司さん)が話していたことは、間取りを完成してから
家相を調べてもらうためにくるハウスメーカーは嫌がってあんまりいないらしい。
家相が悪かったら、ハウスメーカーも苦労して作って、お客も満足してる間取りがチャラ
になるから、こういう風にくる所は、なかなかないよと言うことを話されてました。
(一年も前の話なので、ちょっとうる覚えです。)

家相の結果は、多少問題はあったが少しの変更ですみました。

2008年06月30日

~地鎮祭までの長い道のり3~

間取りは、こういうリビングにしたいということを高嶋さんに
伝え、そこからたたき台の間取りができ、三回~四回ほど
修正をしてもらいほぼ完成。


一ヶ月ほどかかりました。


その間に、不動産から土地についての話は全くきません
でした。


6月に入ったある日に、高嶋さんから連絡がありました。
「大変なことが起こりました。」と・・・。
予定していた土地の半分が買えなくなったという話でした。

不動産屋に細かい話を聞きました。

土地の持ち主が、勝手に近所の人に土地の三分の一ほど
売ってしまってたということでした。しかも、既に手付け金を
もらってるのでどうにもならないと言うことでした。

不動産曰く、普通はそういうことはあり得ない。
売る側が土地を不動産屋にうりたいと持ちかけたら、
普通はそれ以降は勝手に土地は売らないという話
らしい・・・・など、事細かに原因を売り主の事情を
話してくれましたが、買う側の私達にとっては知っても
仕方のないこと、どうでもいいことでした。


正直、知らなくてもいい話でした。


その時思ったのが、そういう事がないように管理する
のが不動産屋の仕事じゃないの?

不動産屋は土地の売買のプロじゃないの?
って思い、怒りを通り越して、あきれてしまいました。


その代わりに良い土地をだしてくれるかな?と思ってた
けど、ひたすら謝られてそれ以外は特に無く結局その
土地での購入がなくなっただけでした。

この時点で不動産屋の信頼はあんまりできんなっと思い、
仕方ないから次の土地を探すことになりました。
また土地探し、決定するのに膨大なパワーが必要になる
のかと思うと憂鬱になりつつ、高嶋さんに探してもらう
ことにしました。

ちなみに、土地がなくなったので前回の間取りはチャラに
なりました。


つづく・・・

2008年06月24日

~地鎮祭までの長いみちのり 2~

次のステップは、土地とローンを決めないといけません。

お金について

お金をどこで借りるか?月々の返済金額の予定は?貯蓄は?

借りる金融機関は、高嶋さんからの説明がありました。(もう忘れました(笑))
ただ、納得して決めたのは覚えています。

月々の返済金額は、自分たちで初めから決めていました。
目標は今のアパートの家賃より安い金額にすることでした。

ローンする金額+貯蓄などでどれくらい価格の家を建てるかを決めました。


土地について

どこに住むかでした。
鶴来方面、小松方面、粟津駅近辺と本当にいろいろ探してもらいました。
土地探しをお願いするごとに、場所がバラバラでしたが、高嶋さんは嫌な顔せずに
良いですよと言って探してくれました。

鶴来方面だと坪単価が16~20万くらい。
粟津だと9~14万くらいとやはり小松方面の方が安く小松方面にしようかと
悩んでいると、三ヶ月の月日がかかっていました。
2007年4月中旬に、不動産屋が良さそうな土地が見つけてくれたと高嶋さんから連絡があり
不動産屋さんから土地情報について聞くことになりました。

場所は小松市内。
土地価格は、まだ決定されていないが、十万以下にする予定。
土地は二区画にする予定。
この土地は、まだ人が住んでて、約一ヶ月後に売りにだしたいという
話が不動産屋にきたらしい。
今ならば、南東角地になるからかなりお勧め物件やし、一週間くらいで返事がほしいと不動産屋に
言われました。

正直、いきなりわいてでたような話で、嫁さんと相談し、決心するまで悩み寝不足の日が続きました。
日当たりもいいし、こんな良い物件ないかもしれんし、これにしよう!っと思い切って決心し、
翌日に不動産に連絡し、高嶋さんにも連絡しました。

次は間取りを決めることになりました。

2008年06月20日

~地鎮祭までの長い道のり1~

お客さんのブログが開設されたということで、
ブログを書いて下さいとお願いされ書くことに
なりました。


文章を書くのは苦手で読みにくい点がある
かもしれませんがよろしくお願いします。


地鎮祭までの経緯を書いて行こうと思います。


2007年1月下旬

子供が半年後に生まれる事がわかり、いずれは
家を建てないとなと思い、ふと見た広告が
きっかけでウィッシュホームでマイホームを建てる
ことになりました。


ウィッシュさんに決めるまで何社かの大手ハウス
メーカー内見会にいきました。大手のハウスメーカーの
内見会に行くと、必ずといっていいほど家に
営業訪問に来ます。


向こうも仕事だから営業訪問に来るのは仕方のない
ことなのですが、商売気が感じられて、なんとなく嫌な
感じを覚えていました。あるハウスメーカーには、来ないで
下さいと言っているのに来たこともありました。
そうなると信じられなくなりそこの会社では、絶対に家を
建てたくないって思ったほどです。


当時のウィッシュさんの広告には営業訪問はしませんと
書いてあったので、ほんとに来ないのか?
と半信半疑で、暇だし内見会に行って見ようということで
いってきました。

そこで担当になったのが高嶋さんでした。
その時に言われたのが、オシャレな家だけど住みにくい
家より自分達にとって住みやすい家を作った方がいいと
いう話がありました。


当時、自分の理想としては、リビングに吹き抜けがあって、
開放感がある家がほしいと思っていたのですが、吹き抜け
にすると冬は寒い、夏は暑い、光熱費がかかる、天井の
掃除はできない!?、2階はその分狭くなるなど、そういう
家は自分達にとって本当に住みやすいのかどうかと考える
ようになりました。


その他にも、家を見てまわりながらいろいろ説明を受け、
知りたかった家の構造などの話などを聞け、
すごく勉強になり、この家良い家だなぁって思いました。


一通り見終わった後に、土地についてのことを高嶋さんに
相談しました。土地の物件を一通り探して、郵送して送り
ますと言われ、住みたい場所を伝えてその日は終わりました。

数日後に、営業訪問も無く、郵送で土地の情報が送られてきました。
これには、感謝しています。

その後、家の構造、営業の高嶋さんの印象、家造りの熱意など
総合的にも良い印象を受けていたので、


この会社なら良い家を造ってくれると思い、ウィッシュさんにお願いすることを決めました。

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